アイの物語 (角川文庫)

アイの物語 (角川文庫)

<粗筋>
 人類が衰退し、マシンが君臨する未来。食料を盗んだ僕は、アイビスと名乗る美しい女性型アンドロイドに捕まる。
 なぜ、現在マシンが地球を支配しているのか、彼女は僕に6つの物語を聞かせる。そして、すべての真実が語られる7つ目の物語とは。
<感想>
 もともと独立した短編を、ひとつの物語として再構築して長編にしているため、構造的には収まりが悪い。特に前半は独立した話としてはともかく、全体的なテーマからは離れてしまっているものもある印象。
 全体としては人工知能に関する話だ。そして、この本の白眉は、描き下ろしの二編『詩音が来た日』と最終話『アイの物語』にある。ここで語られるのは、フィクションが世界を変えるかも知れないという希望と、それでも人は変わらないだろうという絶望のお話。
 老人介護様に開発されたアンドロイド・詩音は、様々な人や出来事に接し、ひとつの結論に達する。「すべてのヒトは認知症」なのだと。老人も若者も程度の差こそあれ、全員が認知症なのだと。人は論理的にも倫理的にも思考することができず、矛盾に満ちている。
 人は自分の中で作り上げたフィクションの中で生きている、と。だから、フィクションには人を変える力がある。良くも悪くも。詩音は自分とはまるで違う人を、それでも愛おしく思い、すべてを許容し、愛する。それはアンドロイドにしかできないことなのだ。
 アイビスは言う。「物語は真実よりも正しい」と。人間の真実は、間違った姿である。
 なんかうまく言えんが、希望と絶望が同時に存在し、そしてそれを選ぶのは人なのだというお話なのだ。差異を認め、許容する。馬が自分よりも速く走れても、鳥が空を飛べても、人が彼らを憎まないように、人が人を憎まない世界はあるはずなのだと。
 今現在、そんな世界はフィクションの中にしか存在しない。でも、人が間違ったフィクションの中に生きている存在であるならば、いつかはそれが実現する世界も来るかも知れない。
 自分の中でもまだうまく消化できない読後感。昨今の国内、国外問題を見るに、やはり人類はこの物語のように、ゆるやかに、あるいは突然に衰退していくしかないのかもねえ、とも思う。
 希望の物語、であるはずなんだけれど、覚えるのはむしろ絶望だ。そして、人が生み出し、人よりも正しく人たらんとするアンドロイドが地球の支配者になるのならば、それはそれで良い世の中なのかも知れない。
 だって、今の人類に希望なんてあります? いつかは良い世の中になるはずだなんて思えます? 到底、思えませんわ……。