旅行とか。

7/29のVA20周年大感謝祭を皮切りに、7/31まで三日間、遊びに行って来ました。
その顛末などを簡単に。
と言っても、ほとんど31日に福島に行った時の話になりますが。
 
29日(金)
みんなご存知、ビジュアルアーツ20周年大感謝祭のため、一路横浜へ。
ライブは滅多に見ないのですが、ずんずんとお腹に響く生音は良いものですね。
リトバスのアニメPVで盛り上がっておりました。動く美魚に感動。
 
30日(土)
横浜でリリカルなのはの映画を観る。
映画の内容自体よりも、終わった後に偶然、七年ぶりに友人と再会したことに驚く。
前の職場で一緒だったのですが、やはりオタクで、今は横須賀勤務だとか。そして休日になのはを見に来ていたところで、岐阜から来てわざわざ横浜で映画を見た私と再会。
こういう偶然もあるのだなあ、と改めて感心。世の中、何が起きても不思議じゃないのだ。
映画自体は、うーん、まあこんなものかなあ、やはり詰め込みすぎか。
夜、新幹線で福島へ。
 
31日(日)
今回は横浜へ行くついでというと語弊があるかもですが、福島まで足を伸ばしてみようと思っていました。
震災当日も殆ど揺れることなく、その後も特に不便を感じることもないままに地元に居ると、震災のことは遠い昔のような気がしてしまうのですよね。
だから、自分の目で現状を見たいと思っていました。
 
なにか野次馬根性みたいで気兼ねも無くはなかったのですが、それさて置いて毎日のようにニュースで聞く街まで行って来ました。
福島市内は、全然普通に見えました。もちろん震災前を知らないですし、立ち寄っただけの私には分からないことがたくさんあると思います。
 
レンタカーを借りて、南相馬市を目指します。
途中で飯舘村を通過。
山道を車は次々に通りますが、人気はまったくなし。たまに工事関係の人や放射線量を測っているのだろうとおもわれる人を見かけるだけ。
家や店舗、それに郵便局や役場もすべて閉まっている。
ここにきて初めて、原発事故の影響を目の当たりにしました。
 
南相馬市に入ると、市街地は賑やか。人出もある。
市役所へ赴き、少額ながらふるさと納税をさせていただきました。
ちょうど昼休みだったのですが、総務課の課長さんや課員の方とお話を少し。
当日の話、そして今の話。海岸沿いや同じ南相馬市でも警戒区域の小高区は今でも生々しい後が残っているとのこと。
パンフレットなどもいただきました。
昼休みに時間を割いていただきありがとうございました。
 

南相馬市役所
 
お言葉に従って、海岸沿いへ。
 

復旧作業中の東北電力原町火力発電所
  


集められた瓦礫
 


家があったんだろうなあ、と思われる草原
家の基礎が残っているところもありました
 
そこから、小高区の方へ。
途中の道では、中の缶ジュースが倒れたままになっている自販機があり、なにか悲しく見えました。
小高区に入ると、やはり人気はまったく無い。
飯舘村と同じく、たまに工事関係の人や放射線量の測定をしている人を見かける程度。
 


人のいない店舗やアパート
 


壊れたままの家
 
それから、さらに浪江町の方へ向かう途中で、通行制限に。
 

ただの山道に、簡単な通行止めだけ
 
ここでそろそろ戻らないと帰りに間に合わなくなりそうだったので、福島市内へ向かうことにします。
最後に車を降りると、暑い空気が体にまとわりつき、鳥と蝉が鳴いていました。
どこにでもある夏でした。
 
帰りは飯舘村ではなく、伊達市を通って帰りました。
かなり山道が続きましたが、途中で光ケーブルの復旧作業をしていたり、除染作業をしていたりと、やはりまだまだのようでした。
あの山々をすべて除染作業を行う、というのは可能なのだろうか、と思ったり。
 
写真は車を降りてパシャパシャ撮るのもデリカシーに欠けるかと思い、車の中からのみですが、今から思えば、もう少し近づいて撮っても良かったかも知れないとは思います。
 
最初にも書きましたが、岐阜に居るとどうしてもニュースや映像の中のみの出来事になりがちです。
自分の中で、そうなってしまわないために、今回は行くことにしました。
地震、そして原発事故の被害の大きさを自分の目で見ることができて、良かったと思います。
もちろん、ほんの数時間、ほとんど車で通過したのみで、分かったとはとても言えませんが。
それでも、垣間見ただけでも、昨日以前と以後では何かが違う気がします。
 
率直に行って、あの飯舘村や小高区に人が戻るには、おそらくとてつもなく長い年月がかかると思います。
それは、放射線量が云々ではなくて、1年以上人が住んでいなかった場所にふたたび戻る、というのが頭の中で想像するよりも、ずっと大変そうに見えたからです。
たった1年半、人が居ないだけで、これほどまでに忘れられた街になってしまうのか、というのは恐怖すら覚えました。
 
これからも自分にできることは、忘れないこと、そして寄付を続けることくらいですが。
それを間違いなく実行したいと思う次第です。