昨日は川上とも子さんの訃報に接し、呆然としてしまいました。
代表作はたくさんありますが、やはり個人的には『AIR』の神尾観鈴ですね。
ゲーム・アニメでの川上さんの演技は耳に残って、それこそずっと生き続けていくものと思います。
 
以下は、観鈴SSです。私なりの追悼と思って、読んでいただければ幸いです。
 
 
『take to the AIR
 
 観鈴の手から離れた紙飛行機は、空を舞うこともなく、神尾家の庭先にぽとりと落ちた。
 
 夏休みの午後。
 暇を持て余していた俺と観鈴は、トランプをしたり、ごろごろしたり、寝そべったり、そんな時間を過ごしていた。
 
 やがて、それにも飽きた観鈴が「そうだ」と言うが早いか、自室に一旦帰り、何やらを抱えて戻ってくる。
 それは、大量の紙の束だった。
「往人さん、紙飛行機で遊ぼう」
 いつもながら、唐突な観鈴の発想だった。
「しょうがない」
 と言いつつ、付き合う俺だった。
 
 で、
「どうして飛ばないかなぁ」
 縁側で足をぶらぶらさせながら、観鈴が詰まらなさそうに呟く。
 さっきから観鈴が飛ばす飛行機はちっとも飛ばない。
 観鈴の手を離れて幾秒もしないうちに、頭を下にして、ぽてと庭先に墜落する。
 何度も、そんなことを繰り返している。
「そりゃ、折り方が下手だからだろう」
「よいしょ」と掛け声をひとつ。観鈴は庭に降りると地面に散らばった紙飛行機たちを回収する。
「ちゃんと拾っておかないと、お母さんに叱られちゃうからね」と観鈴が言う。さもありなん。
 
 観鈴の折る紙飛行機は、多分子供の頃に誰もが作ったことがある一般的な形をしている。
 別に翼の部分が無いだとか、前後が逆になっているとか、そんな失敗はしていない。
「にはは。良いこと思いついた」
 そう言うと、観鈴は部屋の片隅で回っている扇風機を縁側まで運んでくる。
 首を外に向けて固定し、ダイヤルを強にする。庭に向けて激しく無駄に風を送る扇風機。
 観鈴は折った紙飛行機をその扇風機の前に持ってくると、「えい」と手を離した。
 
 ……。
 そりゃ、落ちるわな。
 
「失敗しちゃった」
 懲りずに笑う観鈴
「どうして飛ばないんだろう」
 右手に持って、くるくると回しながら、その出来具合を吟味している。
「こーくーりきがくかなぁ」
 観鈴が解った風な口を聞く。
「なんだそりゃ」
「にはは、言ってみただけ」
「しっかし、紙飛行機なんて誰が折っても同じだと思うんだが」
 そう言いながら、俺は観鈴の傍に散乱する紙片(どうやら勉強用のノートを使っているようだ)を一枚手に取る。
 まず半分に折り、先端部分の形を作って、翼を折る。
 敢えて気をつけるところと言えば、この翼の折り方くらいか。それでも“普通”にするだけだ。
 大きすぎず、小さすぎず。真っ直ぐに。
 観鈴はそこに何か隠された秘密があるかのように、真剣な目つきで俺の手元を見つめる。
 
 俺は出来上がった紙飛行機を庭先に向けて、ひょいと放る。
 ふわと舞い上がると、たちまち風に乗る。庭を飛び越え、ブロック塀の向こうへと姿を消す。
 
 ――どこまでも飛んで行けば良いのに。
 
 ま、実際はあとで道路まで行って、回収してこなくてはいけないわけだが。
 居候としては「神尾さんの家はゴミを道路に投げている」という悪評を立てられるのを避けなくてはいけないのだ。
 ……今更か。
 
「うー。往人さん、良いな」
 観鈴が羨ましそうに言いながら、また紙飛行機を折り始める。
「何でなんだろうな」
 傍から見ても、特に観鈴のやり方に問題があるようには思えない。
 それなのに、なぜ彼女の紙飛行機は空を舞わないのだろう。
「えい」
 掛け声一投。

 そら、風に乗れ。
 しかし、観鈴の放った紙飛行機は横風に煽られ、バランスを崩して落ちてしまう。
 
 ――空に祝福されることなく。
 
「どうして……」
 最初のうちは半分「にはは」と笑いながら、何度も挑戦していた観鈴だったが、どれだけ繰り返しても飛ばないとなると、その顔はだんだんと悲痛なものになっていく。
 
 何度も。
 どれだけでも。
 観鈴が折る紙の量は増えていき、それに比例して庭に散らばる紙飛行機の量も増えていく。
 さらには、観鈴の表情の険しさも。
 
 空を見上げると、鳥が一羽。トンビだろうか。優雅に飛んでいる。
 彼には翼があり、俺たちには翼が無い。
 ただそれだけの違いだというのに、それはなんと大きな違いなんだろう。
 
「おい、観鈴……」
 俺は止めようと思った。
 これ以上、彼女の苦しむ顔を見たくない。
「たかが紙飛行機じゃないか。そんなに向きにならなくても」
「ねぇ、往人さん。どうして、どうしてわたしは飛べないのかなあ」
 そう言いながら、観鈴はまた紙を折り始める。
 何時の間にか、観鈴は飛ばない紙飛行機を自分に重ね合わせているようだった。
 空を舞わない紙飛行機。
 友達を作ることのできない自分。
 空に憧れながら、決して空に触れることのできない少女。

 俺は自分の右手を見つめる。
 この手には法術の力が宿っている。人形を動かすことにしか使わないが、紙飛行機くらいならば飛ばす力はある。
 これ以上、観鈴の哀しむ顔をみたくない。
 卑怯かも知れないが、観鈴が知れば余計に哀しむかも知れないが、それでも観鈴の笑顔を見るために。
 俺はこの力を使おう。
 
 観鈴が紙飛行機を構える。
 空にあるその先を見据える。祈るような瞳で。
 恐る恐る右手を後ろに引き、続いて力を込めてその手を前に押し出す。
 
 紙飛行機が観鈴の手から離れるその瞬間を狙って、俺は“力”を、
 
 その一瞬。
 ――観鈴の笑顔が、脳裡に浮かぶ。
 
 まるで時間が止まったかのような静寂の後。
「あっ」
 観鈴の歓声が、耳に響く。
「飛んだよ。飛んだよ、往人さん」
 観鈴が子供のようにはしゃぐ。
 俺は観鈴の指差す方を見る。
 白い紙飛行機はまるで空に溶け込むかのように、どこまでも、どこまでも。
 
 風に乗って、空を行く。
 
 俺は――何もしなかった。
 紙飛行機が観鈴の手を離れるその瞬間、観鈴の笑顔を見た。
 ――俺がしようとしていることは、本当に正しいのか。
 暫時、躊躇った。
 その一刻の後、観鈴が放った紙飛行機は飛んだ。
 
 それまで泣きそうな顔をしていた観鈴が、今は笑っている。俺も釣られて笑った。
 ふたりでぐんぐんと遠く、小さくなっていく紙飛行機を見送った。
 
「ばいばい」
 観鈴が呟いた。
 
 やはり力を使わなくて、良かった。
 もし法術で紙飛行機を飛ばしたとして、それで観鈴が笑ったとしても、俺は笑えなかっただろう。
 
 一度飛んでしまえば。
 なんて簡単なことだったんだろう。
 結局は“コツ”みたいなものだったのだろう。
 それからは観鈴の紙飛行機は、どれも風に乗り、遠くまで飛んでいった。

 空と地上に別れ、永遠に互いを求め合う少女たちを結ぶかのように。
 
「家の前のゴミはなんなんや――――!!!」
 あとから晴子にこっぴどく、怒られた。
 
 
 
<了>
 
後書き
AIR』という物語は「届かない場所に手を伸ばす人たちの物語」だと感じています。
川上さんは観鈴と同様、今は私たちの手の届かない所に行かれてしまいましたが、せめて手を伸ばし続けることはしていきたいと思います。