フラッシュフォワード (ハヤカワ文庫SF)

フラッシュフォワード (ハヤカワ文庫SF)

 
以下、twitterに書いたものの再掲です。
 
ある日、突然全世界の人々の意識が2分間だけ、21年後の未来に飛んでしまう。というお話。未来を見て絶望する人、希望を持つ人、自分が殺されることを知り、それを回避しようとする人、そしてその原因を突き止めようとする人。
  
未来は可変か不変か。人に自由意志はあるのか、ないのか。そんな辺りが興味深い。最後の方がちょっと蛇足に感じるけれど。
 
最後が蛇足気味なのは、この作者にはよくあることなので、あまり気にしない。
 
そんな中で、多世界解釈の話。例えば、左右に別れた道では、右を選んだ世界と左を選んだ世界に別れる。右を選んだ自分は、左を選んだ世界を知覚することはできない。右を選ばれた世界は、左を選んだ自分によって、選ばれなかった世界。
 
いま自分がいる世界が、他の世界に比してなんら優位ではなく、絶対ではない。そのような考えは受け入れられない、人には自由意志など無いはずだ、と主人公は考える。まあ、そうだよね。
 
少し話はずれるけれど、過去をやり直すために何度もループするというのが最近の流行りだけど。これも似たような問題を抱えていると思う。要するに、そのようなエゴは果たして許されるのかという。
 
登場人物自身がループしていることを認識していないループものでは回避されるけれど、ある一人が意図的にループを起こしている場合は、その人にとっては幸せな結末を迎えられたとしても、他の人にとってはそうではない、となってしまう。
 
まあ、言っちゃえば、ほむらならきっと「まどかのためなら、他の人なんてどうでもいい」と言うんだろう。多分。あと2話で、そのあたりはどう処理されるのかなあ。
 
そういうループものは、そもそも現実に対して無責任じゃないかと思うことがある。
 
ほむらは結局、多世界を次々に生み出して、不幸なまどかやマミやさやか、杏子を何人も何人も作っているだけだという事実に気がついて、過去に遡ることを止める。というラストじゃなかろうか。
 
話を戻すけど、『フラッシュフォワード』は、去年か一昨年かにアメリカでTVドラマ化されて大人気、と聞いていたのだけど、Wikipediaを見たら、視聴率が低くて、打ち切り。謎が残されたままになったらしいじゃないか。それでも、今年は日本でやるらしいけど。
 
再掲、ここまで。
 
途中から、まどマギの話になりました。
ところで、虚淵さんはどうやら、ほむらが創りだす並行世界云々に関しては主題ではない、とインタビューで言ってみえるようなので(元記事が分からなくなってしまいました。ソース不明)、こんなラストは無さそう。